【イベントレポート】2018/06/26 築地市場と魚食文化を学ぶ会

概要

開催日時:2018年6月26日(火)

於:築地東京卸売市場(東京)

江戸時代初期、幕府に納める魚の残りを日本橋で売るようになったことに始まったといわれる魚河岸。明治時代になって問屋や仲買人が組合を作ってまとまり、魚市場は千住、新馬、日本橋、芝金杉の4カ所に統合整備されました。その後都市人口の増加により、取引の乱れや衛生面での非難が高まり、大正12年3月、流通の歴史を塗りかえる「中央卸売市場法」が制定。市場は東京市が指導運営することとなり、衛生的で公正な取引による価格と品質の安定を目指したのです。しかし、関東大震災に東京は大きく焼失し、長い歴史を誇った日本橋魚河岸はその幕を閉じました。震災直後、芝浦に仮設市場が設けられましたが、同年12月には市設魚市場として築地に移転。中央卸売市場開設までの暫定市場とし建設したのが築地市場の始まりです。そして昭和10年2月11日に築地に東京中央卸売市場が開業し、全国各地から運ばれる水産物、青果物がここで取引されることとなりました。現在敷地面積(建物面積)230,836平方メートル(285,476平方メートル)、平成26年の1日当たりの取扱数量(金額)、水産は1,676t(1,611百万円)、青果は1,095(323百万円)。大都市の食と生産者を支え、世界から注目される和食の源としてもその存在をしめしています。
2018年11月には市場は豊洲への移転が決まり、歴史ある築地魚市場も終焉を迎えるということで、今回は、築地魚市場と日本の魚食文化について学び、築地市場の最後の姿を見学する会となりました。まずはマグロ仲卸「鈴与」の社長生田與克氏に、築地市場の歴史やその役割、豊洲移転について、そして魚食文化に関するお話を伺い、築地三代目ならではの詳しいお話しと軽妙な語り口に、参加者も興味津々。笑い声が絶えないなか、質疑応答もおおいに盛り上がりました。お話しのあとは仲卸市場内見学の他、場外の店舗では買い物も楽しんで。歩き疲れた頃、明治時代創業の魚料理店「つきじ天竹」で魚料理のランチを味わって、解散となりました。

 

講師紹介

生田與克氏:築地マグロ仲卸「鈴与」三代目社長、一般社団法人シーフードスマート代表理事


1962年、東京都月島生まれ。1981年暁星高等学校を卒業後、家業を継ぐ。以来、築地市場を通じて自然の恵みの尊さ、日本特有の食文化の奥深さを学び、本業の傍ら、テレビ・ラジオ出演、講演会、執筆、小学生を対象としたキャンプの主催などを通じて魚食の普及に努める。NHK「視点・論点」では、魚食についての現状や問題点の提言も行っている。

<お話しのポイント>

米騒動がきっかけで、公設市場が誕生した

・築地市場の正式名称は「東京中央卸売市場 築地市場」。東京都が運営する公設市場。
・大正9年に地方生産者が都市部消費者に米を供給せず、米の価格が高騰した「米騒動」をきっかけに都市住民への食糧の適正供給・適正取引・衛生面での要望が高まったことで、大正12年に「中央卸売市場法」が制定されて公設市場が誕生した。

中央卸売市場は、「集荷」「評価」「分荷」「決済」の4大機能で生産者と消費者を守る

・卸売市場の機能は
①「集荷」:全国の産地から荷を入れる(卸業)。
②「評価」:セリで(中卸)価格を決定する(以下仲卸業)。
③「分荷」:価格決定したものを小売り業者や飲食店が必要とする量に分けて販売する。
④「決済」:セリで決定した料金の生産者への支払いは4日後。生産者のために早く入金する。
・全国各地からの生鮮品を同じ条件で並べ、原価のないものを消費者の立場で考えて価格を決めていくのが役割。マージン商売ではない。商品が不当に安く売られない、不当に高く売られない、生産者と消費者両方を守るしくみになっている。

中央卸売市場の機能は先人が知恵を絞った大変合理的なしくみ

・産地を知り、目利きのある卸売業者が全国から生鮮品を集め(バイヤー、流通機能)、仲卸業者が産地や輸送法は関係なくすべて同じ土俵にあげて需要と供給を考えて値付け、買い付け者(需要側)の希望にそったもの・分量で出荷する。商品選びや産地との交渉、流通に関わるコストが軽減される大変合理的なしくみ。

豊洲移転は安心・安全のため。土壌の安全対策も万全

・築地は歴史があるだけに施設は古く、柱だけのオープンスペースで空調もなし。誰でも簡単に入れるという衛生面やセキュリティ面が課題となっていて、20~30年前から移転が計画されていた。
・豊洲市場は海を活かした都市計画のもと建設され、道路や公園、ランニングコースも整備された東京の新たなスポットになる。

規制なき魚の乱獲で、漁獲量は1/3に。日本の海から魚が消えている

・1982年には1280万トンあった日本の漁獲量が2017年には430万トンとなり、ピーク時の1/3に。30年間下がり続けている。かつて三陸沖は世界三大漁場として、世界の漁獲量の20%を獲っていた。
・原因は魚のとりすぎ。世界各国では水産資源管理(漁獲量制限)をしているため、漁獲量は上がっている。
・ウナギは絶滅危惧種になり、太平洋クロマグロもピーク時の2.6%に減少。ホッケやサバも獲れなくなっている。

今年ようやくTAC(総合漁獲可能量)が制定されるも、わずか8種

・2018年ようやくTACが制定されたが、該当魚種は8種類。ノルゥエ―の18種類、ニュージーランドの90種類以上、アメリカの530種類に比べるとはるかに少ない。

海は休ませると復活する。手遅れになる前に次世代に残してほしい

・現在福島県沖にはかなり魚が戻ってきているとのこと。乱獲をやめれば、漁獲量も復活する。日本は魚を多く食べる国として、水産資源についてもっと勉強して、サスティナブル(持続可能な発展)に次世代に残してほしい。

イベントの様子